ゆるふわ探求

普段から思い考えていることを言いたい放題、お話しする趣味のブログです。

# 2 僕も含めた大体の人には判断、選択する力はない気がします。

2023.12.更新
 
人が何かを判断する時、できるだけ情報があったほうがいいと思います。       
人は限りある情報の中で分析して判断しそのあと選択や決断があるかと思うのですが、選んだあと決めた後に情報が入り、白が黒に黒が白にイエスだった事が、ノーにノーだったことがイエスになる事もあります。      
ひとつの情報に結果が左右されるということもあるかもしれません。              
しかし人は全てを知ることはできず、常に限りある情報から判断するしかなく、 いつ間違えるか分からない状態にあるかと思います。
そもそも何がどうなれば、正解で不正解なのかという、判断も難しいです。
白か黒か1か0かでは考えられない、グラデーションのような状況もたくさんあるかと思います。                  
少なくとも私、個人に限ってはあまりに知らないことが多すぎるとも感じます。
何が善で何が悪なの?と悩んでる時もたくさんあります。
 
一つの分野だけでなく、複数の分野を知ることで得られる理解もたくさんあるとも思います。
知っていることが気にすることが増えれば増えるほど、選択しずらくなり優柔不断になっていくこともあるよ。
 
人は常に変化していて、少しづつ成長し続けています。去年できなかったことが今年はできるようになったり、先週よりも今日のほうがうまくいくということもあります。
20代では分からなかったことが、30代で分かるようになることもありますし、ある日突然、できないことができるようになったりもします。
人生は一生勉強であり、過去にできないことができるようになるということは、過去に知らなかったことを理解できた気付いたということになる事もあるかもしれません。
知らないことがたくさんあるということは、コントロールできないことがたくさんあるということで、人である以上、過去に知らなかった、気付いていなかった、理解できていなかった期間の選択が、間違っていたということもあるかもしれません。
分からないことがあればあるほど、人の判断は不正確なものになっていき、不正確な判断に基づいた選択や決断は、的外れな結果、好ましくない結果になりかねないと思うのです。
人は時に自分達の為にはならないことを望み、自分たちの為にならない結果を懇願することさえあります。なので本当の意味で自分達の為になる事かどうかさえ判断できていないこともたくさんあると思いました。
僕には神様の考えは理解できませんが、大体の事を知っているかもしれない神様から見ると、ほとんどのことが分からない人間の判断は何も分かっていない赤ちゃんと変わらないのかもしれません。
 
 
世の為人の為、お国の為、子供の為、あなたの為に、あなたの事を思っている、家族の為、未来の為とお話しされる方がおられますが、その判断や選択は本当に神様の目から見ても間違いなく、好ましいものと言えるのでしょうか。
あと善意なのか、悪意なのかと気にしている方もおられますが、善意なら全てOKというわけでもない気がします。
流行り病にたいしての予防接種も善意でおススメしてくださる方もおられますし、善意でエコな昆虫食をすすめてくれる方もおられるでしょう。                    
もしかしたら善意で毎日、玄関にある靴を洗ってくれる方もおられるかもしれません。
仕事に出かける時に、濡れた靴が玄関に並び、なんじゃこりゃー!!となってしまうかもしれません。                               
良かれと思って変な宗教に勧誘してくださる方もいます。良かれと思って変な商品や保険を押し付けてくれる方もいます。
子供に強くなってほしくて善意で全否定し続ける親もいるでしょう。         
子供の将来を思い、心を鬼にして善意で叩き続ける親もいるでしょう。        
たくさんの人に求められる、人の口に入ってはいけない食べ物に関わる会社に社会の為と勤めている方もいるでしょう。                        そしてそういう僕、自身もまた、よかれと信じてこのブログを始めていますが、本当のところはどうなのかなって感じでもあります。
善意で良かれと思い、分からずに知らずに選んでしまっていることは神様の目線から見たら、どうなるのでしょうか。
僕としては善意はもちろん悪意むき出しよりは、ずっといいとは思うのですが、人の善意は怪しくて仕方がないと感じました。                           
…うまく言えないのですが、善意からの質の良くない判断は悪意と変わらない結果になることもあるかもしれないとも思いました。
一部の方は善意にせよ悪意にせよ選択の結果が、とんでもないことになっているということもわからないのです。                                  
中には、選択による結果に対しての全ての責任を負いますと胸を張って話す方さえおられるかもしれません。
「人は結局、自分の能力、知っている事、実力以上の判断、選択、決断はできないんだと感じました。」もしかしたらその辺がエゴの限界なのかなって感じました。
 
 
(何に対してどれくらい責任を負っているかや謝罪が必要かどうかも人は、自分の理解の及ぶ範囲でしか判断できない。自分の理解の及ぶ範囲でしか責任を負わないし謝罪できないんだ、と感じました。ほぼ全て自分の実力相応、理解相応なんだと感じました。
僕も自分なりに納得できる範囲でしか責任を負いたくないですし、自分が理解できる納得できる範囲でしか謝罪したくないこともあります。)
 
 
もちろん自分の為にあるいは家族の為に世の為人の為、良くないことをしていると自覚があり善、正義の仮面を使う方もいるでしょう。あるいはそうするしかない、そうせざるをえない人もいるかもしれません。無自覚に自分の為の判断を善意と勘違いしている方もいる方もいます。
 
 
ほとんどの事にメリットやデメリットがあり、あちらを立てればこちらが立たずというようなこともありますし、選択や決断の時、全てが丸く収まるとは限らず、必ずどこかにしわ寄せがいくという、とても悩ましいこともあるかとも思います。
タイミングのグラデーションの中でさえ、シンクロニシティによって目には見えない存在達は働いてくれていて、全ては起こるべくして起きていて、全ては学びではあるかと思いますし、人生に起こったことは全て受け入れていくほかないとも思いますが、なんだかなあと思うこともたくさんあります。(個人的には全てを受け入れる自信なんてないです。)
 
全てを知っている人はいないし、何も知らない人もいない。善い事しかしない人もいないし、悪い事しかしない人もいない。正しいことしか言わない人もいないし、間違ったことしか言わない人もいない。何でもできる人もいないし、何もできない人もいない。
 
人間は自分の事も中々、分からないし、他者の事は尚更、分からない。それなのに自分は自分の事を良く知っていると主張し、数年のお付き合いになると、他者の事さえ良く知っていると主張し始めるのです。
テレビの内容を真に受け、専門家や有識者が話している内容は全て正しいとし、政府の言うことは全て正しいとし、自分は絶対に騙されないと話す方もいます。
そのような事を理解できず受け入れられず、実際の状態と明らかに矛盾する考え方や主張を繰り返します。
にもかかわらず、まるで自分は嘘を言わないかのように、他者を責める方もいます。
言い訳をするな。嘘をつくな。という人もたくさんいます。
問い詰められれば、ご自身も言い訳をするのに他者の言い訳を強く責めるような方もいます。
 
(嘘でググってみると、事実ではないことを話すと嘘をついたことになるんだそうです。間違ったことを話しても嘘をついたことになるとしたら…間違えないということは人間にはできないわけですから……嘘つかないって…なにそれどうやるの?と思いますた。嘘をついてはいけないとは、人間にとってトイレに行ってはいけないと言っているようなものなのかもしれません。)
 
 
僕も嘘をつくし、言い訳もします。矛盾することもあります。それが実際の状態です。
事実で真実です。ほぼ間違いないと思います。
できることは自覚し様々なことの理解を深め、できるだけ嘘や言い訳を減らしていく努力をする事くらいかなと思いました。それでもこの世界はあまりにも複雑で、難しくて、厳しくて、僕では考えきれないと泣きそうになる事もしょっちゅうあります。      
 
 
クレムナの予言というのを動画で見てたら、難しくてよくわからなかったのですが、
「人は神を忘れ、人間の知性のみを崇拝するようになるからだ。しかし神の意志から見ると人間の知性などとるに足らないものだ。神が海なら人間の知性など、一滴の海水にもならない」とミタールタラビッチさんという方がお話しされていたそうで、かなり当たっているのではないかなと感じました。
井の蛙大海を知らずという言葉があるらしいのですが、実際は人間は大海どころか自分の住んでいる井戸の事も自分の事も分からないのです。そしてわかっていないということもわからないのです。
 
というか…予言するほどの事じゃない感じさえします。
 
 
僕たちが現実だと思っている目に見えている世界は仮想現実、幻想という説があり、仮想現実が一割で残り九割がスピリチュアルで本当はスピリチュアルな世界がメインで現実という話があった気がします。スピリチュアルの世界で起きたことが僕たちの現実世界に反映されるというような感じだったかと思います。
多分、魂にも歴史のようなものがあり、僕たちは今の人生だけを切り取って様々なことに反応しますが、魂には前世も来世もあり、死んでスピリチュアルな世界に持って帰れるのは、自分自身の今の意識や経験、徳などというふうに聞いたことがあります。
大日月地神示?ですと「生きて救うものと、死んで救うものと生まれ変わってから救うものと別れる。いずれも御霊相応」とあった気がします。
おそらくスピリチュアルな世界にも、僕たちには分からないルール、法則や仕組みがたくさんあって、伝わるか分からないけど、もしかしたらスピリチュアルな世界の事もあまりよく知らない、僕も含めた大体の人達と、全てを知っているかもしれない神様では視点も視野も考え方もまるで違うかもしれないと思いました。
 
 
 
この世界の真実は僕にはよくわかりませんが、おそらく陰謀論や都市伝説や改ざんされているかもしれない、歴史や聖書、色々な神話の中には真実が混ざってて、この世界や他の世界、霊の世界(スピリチュアルな世界)のパラレルワールドなど様々なの真実を一部の神様は知っていると思います。
 
 
 
神社の参拝の時、奥に鏡を見かけることがありますが、カガミからガを取るとカミになるとか自分の中にいる神様に祈っているというお話を聞いたことがあります。
そして大日日月神示?には「神は御霊の中から全て見ておるのぞ。隠し事いっさいできぬお仕組みじゃ」とありました。それは僕が日の光が一切、届かない地下で食事をしていても何をどんなふうに食べたかまで全てお見通しですと言うことであり、おてんとうさまは見ているという言葉を聞いたことがありますが、それはかなり控えめな表現なのではと思いました。
おそらく、その瞬間、瞬間の感情も食べているものに対しての味覚も、聞こえてくる音に対しての反応も、あらゆる欲も、考え方も思いも健康状態も全て把握されていると考えたほうが無難かなと思いました。多分ですけど夢の中まで把握されてるんじゃないかなと思うこともあります。ある意味、神様が全て把握してくれているという事なのかもしれません。
 
 
あと僕は詳しくは分からないので間違っているかもしれませんが、大日月地神示などを書いてくれてる神様が大日月地大神という神様らしく、艮の金神という神様がクニノトコタチの神様で、艮の金神艮の金神というのは役職の名前という説もあるみたいです。素戔嗚の神様も艮の金神という話もあった気がします。)という神様が何度も進化して、大日月地大神になられたと書いてあったような気がします。クニノトコタチの神様は日本の神様で、ものすごく厳しくてものすごくストイックな神様らしいです。一部ではクニノトコタチの神様はヤハウェであり、シヴァという説もあります。あとクニノトコタチの神様は閻魔大王という説もありました。僕の勝手な妄想ですが、人間では簡単にはできない判断、選択を神様やいわゆる見えない高次の存在ならやってくれるかもしれないです。
   
(よひとやむみなでは日月神示はクニノトコタチの神様が神示を降ろしてくれていた事にしていたけど、実は瀬織津姫様が書いてくれてたという説もあるそうです。)
ホントのことはしらんけど。
 
魂はたくさんの様々な事を経験したいらしく人生で起こることは全てギフトであり、人生に起こる事は良いことも悪いことも全て魂の計画だという説もありました。
全ての悪いことは良い方向に向かっていくために起こっている、だから正しいということも間違っているということもないという主張もありました。
(宇宙には善も悪もないという人もいます。)
僕はしっかりと理解できていないと思うのですが、エゴは手放しジャッジはしないほうがいいということも聞いたことがあります。それもよくわからないけどなんだか当たっているような気もします。
 
あと分からないこともできないこともたくさんある中、人はどうしても完璧にはできないので無理に全てをコントロールしようとしなくてよくて、シンクロニシティのような様々なタイミング、見えない法則や見えない力にゆだねるということも、ものすごく大切みたいです。守護霊様のようなガイドの方々に導いてもらうことも大事なのかもしれません。
しかし同時に人生は選択の連続とも言いますし、自分の内面をより磨いていく時や恐ろしい社会を生きていく上で、取捨選択や善悪の判断も必要になってくるのかなとも思いました。
エゴなんて簡単には手放せる気がしないよ…。
 
 
人間は霊の入れ物で、指導霊、守護霊、先祖などのガイドの人達(または見えない存在)の操作を受け入れてる時の、(水面下で見えない存在が用意したシンクロニシティや生まれる前の人生の計画によって)なんとなくの判断しない自然に出てくる直感的な行動が、思考による判断よりも結果的に良い結果を出してくれることもあるということなのかもしれません。
 
人間の判断する力は、右も左も分からない赤ちゃんとかわらない、
分からないなりに、できないなりに、頑張るしかない、間違っていいし、失敗してもいい、間違いだらけ、失敗だらけ、恥にまみれ、後悔だらけ、感情に振り回される欲の塊、弱すぎる人間の能力の限界も、発展途上の試行錯誤の多くの失敗も全てを知っている神様は体を地球に返した後にそれなりに良いように計らって下さるのではないかと一人で勝手に思い込んでいます。
 
そういえば日月神示か何かに、改心すればどんな悪でも助けてやるぞって書いてあった気がするので、少しだけジタバタしてみようかなと思ってます。