ゆるふわ探求

普段から思い考えていることを言いたい放題、お話しする趣味のブログです。

# 3「失敗を恐れるな」…怖いのは失敗というより周りの人間の反応です。失敗は成功の母と言う前に、失敗した人へ向ける自らの反応を見直して頂きたいと思うことも多々あります。

何千万、何億円という仕事や会社の未来がかかってる、家族の生活がかかっているというパターンもあるかもしれませんし、命がけというお仕事もあるのかもしれません。  
そんな時はまさに失敗を恐れるなという鼓舞するような言葉がぴったりなのかもしれません。
 
ですので本当に言葉の通り 失敗そのものを恐れる方もおられると思うのですが、実際は人生で成長に必要なのは「そこまでリスクの高くない挑戦が大半」であり本当に怖いのは「そこまでリスクの高くない大半の挑戦」に対しての周囲のネガティブな反応じゃないかなと思います。 
 
料理やダイエット、筋トレ、食生活の改善、絵を書いたり、写真を撮ったり、文章を書いたり、転職を試みたり、ささやかな挑戦を試みようとするだけで否定してくれる人もいます。                                      少なくとも僕は挑戦すればするほど失敗しますが、あきらめたくもないのでローリスクな挑戦であれば否定せずに、そっとしておいてほしいです。
何事も中々うまくいかない、そんなことは億も承知でやっているのです。
それなのに否定的な意見があるとさらにモチベーション落ちます。
 
普段自分ができないこと苦手なことに挑戦する時、一人で練習する時、一人で試行錯誤する時は、失敗した後ミスをした後の結果の心配だけしてればいいかなと思いますが、その失敗やミスを誰かに把握、察知された場合、信用や評価が下がったり、マイナスな印象を与えてしまう場合もあります。
 
 
周囲の反応を気にしすぎという、ご意見もあるかもしれませんが、やってみなければ分からないことに挑戦した結果、「そんなことやってみなくても分かると思います。分からないのは分からない方が悪いのです。」と言われたりもします。
 
 
(やってみないと分からない事はほとんどの人にあり、やってみなくても分かる事もやってみないと分からないことも人それぞれ違うのです。やってみないと分からないことがある人が悪いというのなら、そのようにお話しされている方も悪いことになります。やってみてもわからないこともたくさんあります。でもやってみることで今の自分には向いていないということが分かる事もあると思います。)
 
 
苦手なことやできなかったこと。失敗したことを噂され広められ、最悪の場合は、イジメられるようになったり、ストレスなどで健康にも仕事にも生活にも悪影響が出てくる場合もあります。仕事や生活に関わってくるということは、人生や命にかかわってくることもあります。
そもそも僕は一人では生きていけませんし、社会で生きる以上、一人で生きているわけではないので、色々な意味で周囲の反応を気にするのはある程度は必要な事だと思います。
自分軸を守るほうが最優先とも思いますし、周囲の反応に振り回されるわけにもいきませんが、気にしなさすぎなのもなんだかなあと思います。
自分軸最優先で他人軸な部分も少し気にする、バランスを意識するのが好ましいのではないかと思いました。
 
 
失敗は怖いものだとは思いますが。 挑戦する時や練習する時、本当に怖いのは周囲の反応 だと思います。些細な挑戦でさえ試行錯誤は許されないと感じる事もあります。
 
 
実際に一人で練習するときって周囲の人の反応を気にしなくていいぶん、すごく気が楽になったりします。一人なら挑戦できる幅がぐっと広がったりします。 周りの人の反応が怖くて挑戦できなかったことがあっても 一人なら気兼ねなく練習できる、挑戦できる、試行錯誤できるということがあったりします。
 
 
ですので、「失敗を恐れるな」というよりは、「挑戦や試行錯誤する場合は他者からのネガティブな反応を恐れるな」みたいな感じになるのかなと思います。そう言われたら言われたで内心、恐れるわ!!ってツッコミますけど…。
 
 
周囲からの失敗への反応を気にしすぎる人には、あえて見ないようにして放置というのもいいと思いますし、応援や励ましも良いと思いますし、そっと置いておくようなスルーしやすい建設的な提案がいいんじゃないかなと思います。そっと置いておくような提案は押し付けるような印象を与えにくいかと思いますし、そんなスルーしやすい意見を何度か話すことで拾ってもらえて、採用していただけることもあるかもしれません。 拾ってもらえない時は、その時はその時でそれもご本人の選択と考え、あまりしつこくせず、できるだけ尊重したほうが良いと思います。僕の経験上、本当はありがたい助言なのに自分が理解できていないパターンもあったと思いますが、その時は自分がまだ理解できる状態になかった。理解できるタイミングではなかったととらえてます。あとそれでもたくさんある助言の大体は役に立ちませし、役に立たないかもしれない物、タイミングではない物、響かない言葉や考え方を押し付けるわけにはいかないとも思います。(押し付けられることで、しつこく助言していただくことでプラスになる事もあるかと思いますが、大体の場合、コントロールできていないと思うのでデメリットのほうが大きいのではないかと思います。)
 
 
(周囲からの反応を気にする人の中には、助言してくれた人へ配慮し、全く参考にならないどころか否定的な助言でもエネルギーを消耗しながら、まともに対応する方もいます。)
 
 
仕事などであれば比較や競争があり、失敗は許されないという時も実際あると思いますし、より良い結果が求められる事もある以上、失敗に対してネガティブな反応があるのは仕方がない事なのかもしれませんが、必ずしもネガティブな反応が建設的な結果につながるわけでもないとも思います。失敗した人のその先の事も考え、あまり追いつめないほうがいいと思うこともあります。それにプライベートな個人的な挑戦にまで誹謗が及ぶのはなぜなのか、そもそも攻撃したいという思いが前提にあるからなのでは?と思いました。攻撃しやすい的を探し、誹謗を正当化できる理由を探し、時に中傷し、どこまでも追いつめる人もいます。怒鳴りながら怒ってるわけじゃないよと話してくださる方もいます。人を責めるような思いや言動で目を細め微笑み許してるんだよと言うような人もいます。
そのようなことに意見しても、ご理解いただける事はほぼなく、大体は被害妄想のように扱われるので、口を閉ざすようになり泣き寝入りが基本かなと思います。
そして泣き寝入りが基本と話してしまえば、被害者意識、自己憐憫と言われてしまうので、やはりあまり話さないほうがいいのかなと思うこともあります。
ですので基本的には僕の場合はこのようなところでしか話せません。
 
 
このような内容を話すと、「そんな人見たこともないし、そんな話聞いたこともないよ」という方もおられるのですが、そもそもこの世界は見たことも聞いたこともない事で溢れていますし、皆が皆同じ人生を歩むわけではありませんし、皆が皆同じ人間関係であるはずもなく、同じ人間関係だったとしても、同じ扱いをされるとも限らないし、皆が皆同じ経験をするとは限らないとも思うのです。
 
 
 
どう言われれば責められていると感じるか、どう言葉をかけられれば攻撃ととらえるかどう接すればストレスに感じるかも人それぞれではないのかなとも思うのです。
僕のような心が豆腐でポッキーな人間もいますし、これはここまで我慢できるけど、これは無理というようなことも人それぞれだとも思います。
にもかかわらず自分のストレス耐性のようなものを基準にし、自分と他者の違いを理解しようともせず、自分の基準を他者に押し付け、他者のストレスを理解できず、理解しようともせず、自分の分析できる範囲、察知できる範囲、感覚が、自分の理解の及ぶ他者の情報が全てであるかのように感じている人もいます。理解できているつもりでいることを全てと信じ、良かれと思って考えを言葉にし傷つけていきます。
 
 
そして僕自身もその中の一人で人を傷つけることもあるのです。人である以上、大体のことに限界はあると思いますが、できることはできるだけ愛を持って接する。他者をできるだけ傷つけないようにすることかなと思いました。他者へどれだけ配慮できるかも自分次第なのかもしれません。
 
 
自分の失敗を認めず、他者の過去の失敗を十年以上たっても覚えていて積極的に掘り起こし、傷口に塩をグリグリねじ込んでくれる人もいます。怖い人たちに囲まれていると理解できれば、失敗とみなされるような事を記憶されるわけには行かないので、ビクビクと人目を避けるようになり失敗を恐れるのは自然な反応ではないかなと思います。
(怖い人たちは僕の経験上ほとんどの場合、表面的な事しか見ず自分たちの恐ろしさに気付いてないです。)
 
 
(怖がらせてないかなと心配するような方に、怖い人と言うのは良くないと思いますが、怖がられて喜んでるような人にはお望みどおり、ビビってやんよ‼って感じです。)
 
 
自意識過剰と考える方もいるかもですが、経験上、想定内か想定以上のことが起こっていると感じる事もかなりあるので過剰ではないと思います。周囲の人を(または世間様を)正しく恐れているつもりです。あるいはたりないくらいだと思います。
こちらのブログも一人二人くらいに、見て頂くならまだしも不特定多数の様々な経験を持ち、様々な状態の方に見て頂ける可能性がある場合、どのような方向からどのような種類の圧力のようなものをかけられるかも分からないのです。そして高い実力のある方だからといって、愛の人とは限らないのです。強い人で恐ろしい人はたくさんいます。
人の頭の上に足を乗せて、笑っているような人はかなりいます。
それを全く気にせず、知らずポジティブに生きるのは、様々な種類の爆弾や地雷まみれの真っ暗な山の中を笑顔でスキップしているようなものではと思いました。
一手、間違ったら運が悪ければ、自力では対応しきれないトラブルに逢うかもしれないと思うと心配になる事もあります。
大半の方は、自分たちの、人間の恐ろしさを軽く見すぎているのではと思いました。
万歩、譲って陰謀論も都市伝説もスピリチュアルも全て嘘だとガン無視だとしても、それにしても世間様の実際の状態がひどすぎると感じました。
 
 
新しい挑戦をするときに二の足を踏んでいるような人に、試行錯誤する人に成長してほしくて、強くなってほしいときにも失敗を恐れるなという言葉を使う人もいるのかなとも思います。 しかし「最初からうまくできる人なんていないよ、誰でも最初は初心者なんだよ」と 言いながら、うまくいかない状態や失敗にたいしてイライラした雰囲気をまき散らす人や「同じミスを3回も繰り返すんだとか、どうしてこんなこともできないんだ、お前は頭が悪い」とか言いまくる人もいます。 周囲の顔色をうかがい迎合し萎縮しビクビクしながら緊張しストレスをかかえ練習するような状態になって、 健康面も含めてさらに弱っていくこともあると思います。
弱らせておきながら、多大なストレスを与えながら、どうして練習しないんですか?どうして何の努力も挑戦もしないんですか?と話す方もおられます。
弱らせておきながら強くなれという人もいます。表面的には成長してほしいという体ではいるものの、成長の妨げになっていることさえあると思います。
 
間違えることを恐れるなという人もいますが、間違えることよりも、
「間違えたことを責め咎められること」のほうがずっと怖いです。恐ろしいです。
 
あと短所をなくす努力ではなく、長所を伸ばしたほうがいいと聞くことがありますが、そのようなことを話す前に、
「短所や弱点を叩くのを控えて頂きたい」と感じました。
短所や弱点を知られれば、叩かれるということを知りながら、長所を磨くことに集中するのは難しいと思います。
完璧な人はおらず当然自分にも、苦手な事、短所、弱点はあり、克服も改善もできず、
難しいと知りながらも、まずは弱点や短所を隠そうと試みるのは自然な事なのかなとも思います。隠し事はするな?嘘をつくな?自衛のためには必須だと思います。
 
 
出る杭は打たれると言いますが、実際は土や葉に埋まって隠れていても掘って探し当てる勢いです。もちろん出過ぎた杭も打たれることもあります。さらに一部の方にとって攻撃できるもの、しやすいものは全て的です。虎視眈々と重箱の隅をつつくように、それ見た事かと攻撃のチャンスをうかがう人もたくさんいるでしょう。
 
 
人間は世間様は自分たちで言うほど、失敗に寛容ではないと思います。
世の中は少しづつ良くなってきているとも感じますが、様々な意味で色々な意味で生かさず殺さずの生かさず側に若干、傾いていると感じさせるような社会であり、ある意味、しっかりと地獄だと思います。